【八木秀次会長(新しい歴史教科書をつくる会):5分6秒まで】
本日は、伝統ある外国特派員協会にお招き頂きまして、誠にありがとうございます。
本日、私どもは二つの目的を持って参りました。
一つは、ここのところ私どもの活動について、海外のメディアの方々から多くの取材要請を頂いております。そこで、個別に対応するよりは、オープンな場で意見を述べさせて頂く方が、透明性を確保できるのではないかと思い、このような機会を設けて頂きました。
二つ目は、今年四月初旬に文部科学省の検定に合格致しました私どもの『新しい歴史教科書』の近現代史に関する部分を、このたび英語訳致しました。そのご披露をしたいということであります。
ここで私どもの会について少々説明させて頂きます。『新しい歴史教科書をつくる会』は、1997年1月に発足致しました。日本の歴史教育を根本的に立て直すことを目的とした会であります。
日本は60年前、未曾有の戦争を経験し、国内外に大変多くの犠牲者を出しました。そして、そのことが精神的なトラウマになって多くの日本人が「日本がこれまで歴史で行ってきたことは、何から何まで悪かったのではないか」との感情を持つようになりました。しかしながら、その後の歴史研究により「そのような感情を持つことはオーバーアクションなものではなかったか」との疑問が生じてきました。そこで、私達は今日の学問研究の水準に立って、事実は事実として子供達に教えるべきだとの立場から歴史教科書を作りました。
また、これは日本の特殊事情でありますが、日本の教育界では依然としてマルクス主義が大きな影響力を持っております。教職員組合がマルクス主義の立場に立っているためです。そして、その思想が歴史教科書にも色濃く現れています。「統治者はいつも悪で人民はいつも善である」という階級闘争の歴史が教科書に示されているのです。
そのような時代遅れの歴史観から脱却した歴史教科書を作ることも私の会の目的の一つです。私達は日本に・・・私達は日本の子供達を、自由で民主主義的な国家の構成員として育てたいと思います。
私達は、1997年1月の私どもの会の設立趣意書にも示されていますように、世界史的視野の中で、日本国と日本人の自画像を品格とバランスをもって活写し、私どもの先祖の活躍に心を躍らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる日本人の物語を子供達に提供したいと思います。そして、子供達が日本人としての自信と責任を持ち、世界の平和と繁栄に献身できるようになることを願っています。
幸い、このような私どもの、その活動の趣旨には、発足以来、各界からの多くの支持を頂いております。また、現在も支持の輪が大きく広がっております。
冒頭に申し上げましたように、このたび私どもの『新しい歴史教科書』の英語訳を完成致しました。お手元にお配りしてるものがそうであります。皆様の、皆様方のその関心の深い日本の近現代の歴史に関する記述を忠実に英語に訳したものであります。
また、併せまして中国に関わる部分、韓国に関わる部分については、それぞれ中国語訳・韓国語訳も作成し、中国語訳については私どもの会のホームページで昨日より公開しております。韓国語訳も近く公開の予定です。
私どもの作り上げた教科書の中身が、どのようなものであるのか、どうか実際にご覧頂きまして、今後の報道にお役立て頂ければ幸いであります。
本日はこのような機会を与えて頂いたことに深く感謝しております。
【藤岡信勝副会長(新しい歴史教科書をつくる会):5分13秒から11分22秒まで】
お招き頂きましてありがとうございます。たくさんの方がお出でになってらっしゃるってことは、それだけたくさんの関心を頂いているということだと思います。
先ほど会長も申し上げましたが、私どもが作りました教科書は、日本の曙の時代から現在に至るまでの全時代をカバーした、中学生が現実に学校で使う教科書でございます。ですから、近現代のところだとか戦争のところだけを扱ったものではございませんので、この点はくれぐれもお間違えのないようにお願いしたいと思います。
私どもの歴史教科書の基本的な立場はですね、この趣意書にも書いてございますが、どこの国にもその国固有の歴史がある。日本にも日本固有の歴史があるわけでございます。そういう日本の固有の歴史、つまり言い換えますと私ども日本人の祖先が作り上げてきた、その歩みであるところの歴史をですね、次の世代に正しく伝えたいという立場であります。
日本は古代からですね、ユーラシア大陸から少し外れた海の上に浮かんでいる、この日本列島という土地を舞台に歴史を作って参りました。ですから、その長い歴史をですね、どういう風に描くかということでありますけれども、私どもは古くから日本人が、そういう地理的な条件も一つの原因となりまして、独自の文明を作ってきたという風に考えております。
古い時代のことについてもご質問を頂ければ、お答えをしたい、議論したいと思っておりますが、多分、皆様方は近代・現代のことに主要な関心がおありだと思いますので、江戸時代の話からちょっと話しをさせて頂きたいと思います。
江戸時代のペリーが、アメリカの海軍提督ペリーが日本にやって参ります3年前、つまり1850年ですね。日本の江戸時代のことを研究しておりますアメリカの女性研究者にスーザン・ハンレイという方がいらっしゃいます。で、このスーザン・ハンレイさんは「1850年に、もし地球上のどこかに住居を決めなければいけないとしたら、日本に住みたい。私が一般的な民衆であったならば、日本に住みたい。で、貴族だったらイギリスがいい」という風におっしゃっております。
そのようにですね、日本の江戸時代というのは庶民にとって大変豊かで、暮らしやすい社会であったということが、新しい研究で特にますます明らかになっております。
そして、実はこの事実は、1950年代からアメリカの研究者が正しく注目しておりまして、たとえば皆さんもご存知かと思いますが、エドウィン・O・ライシャワーというハーバードの先生がいらっしゃいます。この方は日本に大使としていらっしゃった方でございますが、この方の日本史を読みますと、江戸時代という社会が豊かな社会であったということが、実はその後の日本の近代の前提になったということを明確に語っておられます。
で、その近代のですね、日本の歴史は、この今日渡しました英訳の中にございますけれども、たとえばこのテキストの12ページをちょっとご覧下さいますでしょうか。ここに『明治維新の意味』という読み物がございます。で、ここちょっと読んでみたいと思います。
【英訳 9分41秒から10分23秒まで】
The Western Powers, whose territory
occupied 35% of the Earth’s land mass in 1800, used their tremendous
military strength to colonize other region. By 1914 ; when World
War I began, that figure had risen to 84%. The Meiji Restoration
had been accomplished by 1914; if it had not, Japan would most
likely have been taken over by one or another of the world powers.
<くっくり注:この箇所の原文(和訳)は以下の通りです。会見では読み上げられていません>
1800年に地球の陸地の約35%を支配していた欧米列強は、強大な軍事力にものをいわせて植民地を広げ、1914年、第一次世界大戦が始まるころには、その支配圏は約84%にまで拡大した。日本の明治維新は、この間におこったできごとである。もし、明治維新がなければ、日本は欧米列強の支配下に組み入れられていただろう。
まあ、こういう風にですね、明治維新というものが私達日本にとって、どういう重要な意味を持っていたかということを、この教科書は書いております。
まあ、長くなりますので後は簡単に申し上げますが、その後の日本の近代の歴史の歩みということについて、私どもの教科書は決してこれをですね、全面的に肯定するとか、或いは戦争を美化するという立場で書いてはおりません。まあ、その証拠に戦争の悲惨さというものをですね、特別のストーリーを作って書いております。
もし、戦争を美化するのであれば、戦争の悲惨さというのをこのように書くはずがございません。後ほどよくご覧頂きたいと思っております。
では、どうぞご質問頂きたいと思います。ありがとうございました。
【記者(民団):11分30秒から12分18秒まで】
Q:まあ、確かに美化はしてないんですけれども、少なくとも隠している、と。
で、それを正当化するために一応、「満州事件は日本が起こしたっていうことを書いているじゃないか」ってことで言い訳みたいに言ってますけれども、一番ホットなトピックって従軍慰安婦を削除する運動をしていたり、強制連行を削除する運動をしていたり、創氏改名を正当化したり、もしくは、たとえば藤岡先生が3月27日に会合でおっしゃいましたように「従軍慰安婦の人の、日本大使館の前で抗議を行っている従軍慰安婦の人達っていうのは、あれはノースコリアのスパイじゃないか」っていう風に非常に扇動的なキャンペーンを行われましたけれども、こういったことが教育者として果たして「qualify?(聞き取れず)」されることなのか、またそのような運動が日本とあと「neighborly
gladly?gallantly?(聞き取れず)」の将来を築く上で、適切な教科書と思われるかどうか、ということに関してコメント頂ければと思います。
【藤岡:12分20秒から15分6秒まで】
A:はい。あの予想通りのご質問、ある意味ではご質問でございまして、お答えするのはだいぶ長い時間がかかると思いますが、あまり長々とやりますと退屈でしょうから、まあ大事と思われるポイントだけいくつかお答えしたいと思います。
第一のポイントは、性奴隷とおっしゃいましたが従軍慰安婦ですね、の意味だと思います。
記者の方はご存知ないかもしれませんが、仮にお聞きするとしますとですね、韓国の教科書にこの従軍慰安婦の問題を書くようになったのはいつかご存知でしょうか。日本の中学生が使う教科書に一斉に書かれるようになったのは、1996年であります。97年から使う教科書に書かれました。
韓国の教科書にはその後、書かれるようになりました。じゃあ、それまで韓国の教科書はこの従軍慰安婦の問題を隠していたのでしょうか?そのことが第一のポイントです。
第二のポイント、(従軍慰安婦の記述を)削除しているという風におっしゃいました。
まだ、お調べになっていないと思いますが、今年の検定を通りました歴史教科書に、従軍慰安婦のことが書かれてないのは、私どもの教科書だけではありません。
ここに朝日新聞の4月6日付け朝刊の切り抜きがあります。『慰安婦、全社載せず』と書いてあります。どうして「私どもの教科書だけが慰安婦を削除した」とおっしゃるのか、誤解に基づくご質問だと私は判断致します。
それから、その次のポイント。「美化していないかもしれないが、隠しているのではないか?」とおっしゃいました。
慰安婦の問題を全社の教科書が削除したのは、私どもが問題にして参りました慰安婦の強制連行、つまり日本の軍や警察が強制的に奴隷狩りをして、朝鮮半島から連れ出したという、そういう話が全く事実によって、証拠によってサポートされていないことが、この間の議論によって明白になったからであります。
基本的な論点についてお答えしたと思いますので、いくらでもお答えしますので、別の方からこのことに関連するご質問があれば頂きたいと思っております。
【オランダ紙記者:15分6秒から16分50秒まで(字幕)】
Q:「20世紀の戦争と全体主義の犠牲者」というコラムの中で、ナチスやソ連については触れてるのに日本に関する記述が殆どないのはなぜか?
【藤岡:16分51秒から19分33秒まで】
A:はい。先ず私から短くお答え致します。と申しますのは、このテーマはむしろプロフェッサー八木の専門分野でございますので、八木さんから詳しくさらにお答えをして頂きたいと思いますが、私は先ずですね、二つのことをお答えしたいと思います。
一つ目はこの『20世紀の戦争と全体主義の犠牲者』という読み物の中で「日本のことはあまり触れてないではないか」というご趣旨のご発言でございました。
で、日本も例外ではないということは、はっきりと書いてあるけれども、それは事実であるけれども、日本のことをあまり充分に触れていないというお話ですが、実は日本がアジアの諸国に対して多大な犠牲を与えたということについては、本文の中でかなり書いております。
ですから、そういう意味では今のはちょっと誤解であるということを申し上げます。
それから二つ目の問題ですが、日本が全体主義国家であったということについては、私は見解を異にしております。
まあ、これは私の個人的な考え方に基づくことお断り致しますけれども、日本は確かに戦時中の一時期ですね、民主的な手続きが色んな形で制限された。そういう時期はございますけれども、しかし、明治憲法体制、明治憲法というものが停止されたことは一度もございません。
で、そういう意味で政府の正統性というものはずっと継続しておりますし、それからドイツなどの一党独裁、ヒトラーのような指導者がいたわけでもありませんし、それから一貫した計画があったわけでもありません。
このことは私もですね、実はかつて、今ご質問いただいた記者の方と同じように、日本の教育を受けて思っていた時期がございますが、今私が申し上げた「日本とドイツが根本的に事情が違う」ということですね、で「日本が当時、全体主義国家であった」という言い方は必ずしも正しくないということを教えて下さったのは、アメリカのマサチューセッツ州立大学のリチャード・マイニア教授という東京裁判を研究された方から私は本で学びました。
それで私は「なるほど、そうだ」ということで、事実の認識を変えた次第でございます。
【記者(西村幸祐さん):19分35秒から20分02秒まで】
Q:えっとですね、このような機会といいますか、パブリック・ディプロマシーということを考えても、日本政府と文科省に対して『つくる会』から、もっともっと積極的に働きかけることはしないんでしょうか。
日本人が日本の歴史をどう考えているかということと現在の教科書の現状を、もっと政府が広報する必要があると思いますが、それについてはどのような見解を持っていますでしょうか。
【八木:20分03秒から21分44秒まで】
A:それでは、お答え致します。
先ず、日本の教科書制度について海外の方々は正確に理解をされていないところがあるかと思います。それはひとえに、我が国の文部科学省がその辺のところをきちんと説明しようとしていないとこにあるかと思います。
日本は検定制度というものを採っております。民間の教科書会社が作成した教科書を文部科学省が検定をする、と。で、その上で各地の教育委員会が、その内の一つを採択をするという制度を採っております。この点、国定教科書制度とは異なっております。この点、正確な理解ができるよう、文部科学省が広報に努めるべきだと思います。
第二点でありますが、外国の首脳の中にも、私どもの教科書を読んでいない段階で批判をされる方がおられます。そこで私どもとしては、今日このような形で外国に翻訳されたものをご披露しているわけであります。本来、これは文部科学省がやるべき仕事ではないか、と私どもは思っております。
他の問題についても言えますが、日本政府は外国に対する発言力が弱いという感想を持っております。
【外国人記者:21分46秒から21分58秒まで(字幕)】
Q:大学の歴史教育と使用されている教科書について
【藤岡:22分01秒から22分16秒まで】
A:あの、ちょっと、どういう趣旨のご質問なのかポイントが解らないところがありますが、大学では検定教科書ってのは使っておりませんので、事情は根本的に違うと思っております。
【外国人記者(フィナンシャルタイムズ):22分17秒から22分24秒まで(字幕)】
Q:客観的な歴史などというものはあるのでしょうか
【藤岡:22分25秒から25分01秒まで】
A:いささか歴史哲学的な話だと思いますが、私は歴史のですね、事実として確定できる部分はあると思います。それは立場の違い、或いはイデオロギーが違うとか、そういうことに関わりなくですね、客観的な事実というものはあると思います。
そして、それを歪めて書くと、それを違うように書くということは、まともな歴史にとっては許されないという風に考えております。
しかしですね、歴史というのは「history」という言葉の中に「story」という言葉が入っているようにですね、一つの物語であるわけです。で、物語というのは一つの事実が原因となって、次の結果がもたらして、もたらされたということをですね、歴史を書く側がいわば主体的に構成するという側面があります。
ですから、歴史の場合にはその語る主体の問題というのが必ず出てくるわけです。
で、私達が書いた歴史は日本の歴史ですから、日本人や日本という国がどのように歩んできたかということを、意味のある全体として一つの物語として書いているわけです。
ですから、これが韓国の方々の歴史、アメリカの歴史、イギリスの歴史とも、どれとも違うものになるのは当然のことだろうと思います。ジョージ・ワシントンが独立のですね、英雄なのか、許されない反逆者であるのかということは、かつてイギリスの教科書とアメリカの教科書ではですね、評価が違っていたわけです。
で、そういうことは、こういう主体的に構成された歴史では起こり得ることであります。ですから、「客観的な歴史があるか」というご質問に対しては、事実についてはやはり客観的に確かめられる事実に基づいて歴史は書かれなければいけない。まあ、そういう事実に基づいた歴史はある、と。
しかし、じゃあその語られた歴史が全部同じかというと、これは語る主体、誰に伝えるかという問題がありますから、それぞれ違ってくるのは当然だと。それは、ある特定の人の一生についても言えるし、家族の歴史についても言えるし、まあ全て同じことだろうと思います。
【外国人記者:25分02秒から25分10秒まで(字幕)】
Q.南京事件の兵士と市民それぞれの犠牲者の数について
【藤岡:25分11秒から31分12秒まで】
A: 『つくる会』の統一見解というものはございませんので、その点はご勘弁頂きたいと思います。私の見解でよろしければ申し上げたいと思います。
南京で起こったのは戦争、一つの戦争の中の戦闘でありました。
日本軍は1937年の12月13日に南京城を占領致しました。で、その24時間前に日本軍は無血開城することを勧めました。国民党の側にですね、勧めたわけであります。ちょうどヨーロッパの戦争でフランスが無血開城されたように、(訂正)パリが無血開城されたように、南京も色んな文化遺産があるので、それを保護するために無血開城するよう勧めたのですが、これは無視されました。
そこで戦闘が起こったわけですが、どのくらい死んだかということについて、死者の数がですね、ある程度特定できます。
戦闘でですね、死んだ国民党の兵士の数は約1万5千くらいと見積もられます。
これは年が明けましてから春先にそういう、遺体が腐敗するので衛生上の問題があるということで、日本軍がお金を出して中国の人達を雇って、そして埋葬の処理を致しました。当時の埋葬処理能力やその日にちなどを厳密に計算した研究がございますが、それに基づけば埋葬された死者の数は1万5千ぐらいです。
日本兵もたくさん死にましたけれども、戦闘で死にましたが、日本兵については日本軍が占領した際に、日本兵である認識票という金属の付けたものがございますが、それを基にして日本兵を集めて火葬にしております。
次に民間人ですが、民間人については実は南京城内に15人からなる欧米人のコミュニティーが作られまして、「そこを中立地帯として、どちらの軍も入らないよう」ということを要請したわけです。しかし、中国軍はここにですね、軍服を脱いで大量に入り込んでしまったために、後に問題が起こります。
まあ、いずれにしましても、占領した日本軍に対して欧米人のコミュニティーが食糧を要求しております。
そして、それはこの中立ゾーンの、safety zoneの中に、安全区の中に20万人の中国市民がいるので、その食糧を調達して欲しいと要請しております。
で、通常は南京事件、南京大虐殺で30万人の市民が殺されたと言っておりますが、実際はこの一週間後、占領してから一週間後にまた委員会が食糧を要求する。で、その時の数はやはり20万人であります。「20万人のチャイニーズ・シビリアンがいる」という風に言っております。
で、その一週間後にも同じ数字が出てきて、その一週間後にもという形でずっといきまして、一ヶ月後にはなんと安全区の中国人市民の数は25万人に増えております。
したがいまして、何万とか何千とかいうオーダーの市民の殺害はありえません。
他方で西洋人の委員会は毎日毎日、克明にその戦争被害、まあ色々なですね、事件を克明に記録した文書を残しております。
で、これを私ども詳細に研究しましたが、そこでですね、伝聞ではなくて、つまり誰かから聞いた話として書かれてることではなくて、直接私が見たとして証言している殺人事件というのは1件であります。
ですから、南京大虐殺というのは、私は市民の計画的な大虐殺というのは殆ど考えられないと思っています。
たくさんの国民党の兵士がその戦闘で死んだということは事実でありますし、万のオーダーの戦死者というのは、おそらく死屍累々とした状態であったと思いますので、これを見た人が何十万とか言ってもですね、それはそういう表現というのは解りますけれども、これはいわゆる不法な虐殺ではなくて、戦闘によって生じたことである、という風に理解しています。
但し、その全く日本軍による、なんて言いますか、色んな事件がなかったとは私は考えておりませんし、ですから教科書の南京事件という風に書いてありますけれども、それは事の真相はそういうことで、この10年くらいの間に南京事件の研究も日本で急速に進んでおりますので、私は先ほどのご質問に関連して言いますと、これはまさに事実がどうであるかという問題なので、立場の違いに関わらず事実を客観的に確定していくということが必要だと思っております。
【外国人記者:31分14秒から31分53秒まで(字幕)】
Q:手元にある英訳された文章には南京事件の記述が見当たりませんが・・・
【藤岡:31分58秒から32分14秒まで】
A:ちょっとよろしいですか。今のはですね、注に書いてあります。(外国人記者「chuu?」) Noteですね。In
foot noteに書いてあります。
【イギリス紙記者(ガーディアン紙?):31分16秒から32分55秒まで(字幕)】
Q:なぜ『つくる会』の教科書は、あまり採用されないのだと思いますか
【八木:32分58秒から34分45秒まで】
A:それでは、私の方からお答えします。
冒頭の私のスピーチの中で「日本の教育界では依然としてマルクス主義を信奉する団体が力を持っている」という話を致しました。
大きな教職員団体が2つありますが、いずれもマルクス・レーニン主義を信奉している団体であります。信じられないかもしれないですが。で、この2つの団体およびそ
の関連団体が、教科書の採択という段階になると、非常に大きな力を持っているわけであります。
私どもの活動について、一部で右翼、或いは極右という指摘があります。しかしながら、私どもの会の賛同者をご覧頂きますとよくお分かりのように、私どもの団体は日本の、いわばエスタブリッシュメントを糾合した団体であります。
したがって、私どもの活動につきましては、日本国民のかなり多くの部分が支持をしてると思っております。
しかしながら、日本国民の多数の意思と教育界の声との間にギャップがあるという事実があります。国民の大多数の声が教育界に届かない。したがって、どの教科書を選ぶのかという時に、やはりマルクシズムの立場に立つ教職員組合の影響力がここに発揮されるということになっております。
で、その結果、採択が少なかったという風に私達は理解しております。
【記者(日経):34分47秒から36分24秒まで】
Q:会長の方にお伺いしたいのですけれども、教科書にちょっとひきつけたアレなんですけれども、昨年ですか、(ここで所属と氏名を聞かれる)日本経済新聞のスミエと申します。
昨年でしょうか、埼玉県のですね、教育委員に『つくる会』の副会長でいらっしゃった高橋史朗さんが任命されて地元で非常な反対運動が起こったんですけれど、その高橋さんについてですね、これは藤岡さんでしょうか、12月の新聞で「執筆者としても監修者としても全く関与していないので問題ない」と。
で、高橋さん自身も「今年度の教科書採択については一切関与していないので法的には問題ないと思っている」と答えているんですが、最近、公民の教科書の監修者であることが明らかになりました。
この辺の事実関係として、まあ虚偽とまではいかないですけれども、ちょっと齟齬があるのではないかと感じました。
そういうところで考えますと、『つくる会』と扶桑社の教科書が一体不可分であるという風に考えざるを得ないのですけれど、そうなると非常に一つ問題があると思います。
というのは、いわゆる白表紙本がですね、先に流出してしまって文部科学省から再三その注意を受けた。これは非常にルール違反だと思うんですけれど、これについて一体不可分である『つくる会』の方としては、この問題性・責任といったものをどう考えていらっしゃるのか、というのが一つです。
【藤岡:36分28秒から38分51秒まで】
A:もう時間がありませんし、あまりに細かい話だから、多くの記者の関心がですね、ないと思うので後で個別にお答えするということでいかがですか?(少し聞き取れないやりとりがあってから)じゃあ、コメントしますよ。えっと、よろしゅうございますか。
高橋史朗さんは『つくる会』の副会長を昨年の秋に辞任されております。で、それは勿論ご本人の意思でございます。それから、監修者も辞任されております。
昨年の4月に検定を申請した段階では監修者の名簿に入っておりましたが、その後、監修者を辞任していらっしゃるということでですね、教科書とは今、関わりがないということは間違いのない事実です。
それから教育委員になるですね、資格要件として、教科書の執筆者であることは全く何の妨げにもなりません。
私が住んでおります文京区というところがございますが、そこの教育委員はある中学校の歴史の教科書の執筆者でありますが、だからといって排除されるとかそういうことは全くございません。
それから、『つくる会』と扶桑社が一体であるというのは、これも事実としては間違っております。
文部省に検定申請したのはあくまで扶桑社という教科書会社でありまして、その『つくる会』のメンバーは個々に執筆者として参加しておりますが、会は執筆者ではございません。
ですから、ご質問の背景にある一連のお考えというのは、日本の法律制度をよくご存知ない方、或いは現状についての誤解に基づいてなされているという風にと申し上げておきたいと思います。
【記者:38分54秒から40分08秒まで】
Q:検定される前のものと、それからされる後の両方読ませて頂きました。
特に検定される前のオリジナルの版においては、中国での状況悪化について、かなり中国側に責任があるというような書き方がされていました。
それは一つには、中国人が自分達で国を一体化された近代化されたものにしていく能力がなく、できなかったという。或いは中国から満州に住んでいる日本住民に対して非常に脅威が与えられていたということ。それから、中国人の方からボイコットがあった。それから、日本軍に対する挑発行為がしきりに行われた、と。
こういうことをもって中国情勢が悪化したということが、かなりはっきり出ているトーンで書かれていました。
で、この書き方は検定によりかなりトーンダウンされて、私は検定後のものについてはある程度のバランスが回復されたと思っていますが、こういうオリジナルのバージョンのような書き方をすることが、日本国民のバランスの取れた歴史、それから日本国民の失敗をも正しく見つめる歴史として適切であるとお考えになって書かれたのでしょうか。
【藤岡:40分09秒から41分53秒まで】
A:検定前と検定後を較べてのコメントですが、私はですね、まあ確かにおっしゃるような方向での書き直しと言いますか、検定による変化はございますけれども、大局的にはですね、私どもが考えている歴史観はですね、維持されていると言いますか、基本的には変わっていないと考えております。
で、それは従来、満州事変という風なものが、日本の一方的な侵略という風に戦後ずっと教えられてきたわけですが、それはやはり最近の研究、日本国内の研究も含めましてかなり、つまり今までの見方が非常にバランスが失われていたということがあるように思います。
で、私どもは新しい研究を参照すればするほど、元タイの大使でありました岡崎久彦氏がよくおっしゃることですが、「当時の満州は、ちょうどパレスチナのインティファーダのような状態であった」という風な喩えをなさっておりますが、そういう現実の中で日本は大変、政策的選択に苦悩をしたということをですね。
で、それは正しい選択だったかどうかは解りませんけれども、それは大いに議論の余地があるし、また、色んな問題を含んでおりますが、いずれにしてもそういう状況に日本が当時直面していたということは、これは客観的な事実であるという風に思います。
【記者(新華社通信):41分53秒から43分37秒まで】
Q:はい、私、新華社通信の藍建中(「中国反日情報」さん引用の国際先駆導報による)と申します。
私は30代の若者なのに、このお爺さんやお婆さん達の口からね、その時の日本軍隊のやった残虐な行為をよく了解していますが、たとえば強制連行か、日本軍隊は村の子供から年寄りまでの男性を全部殺したことか、そして南京であったあの南京大虐殺の生存者に会ったこともありますね。
彼女の話によりますと、日本軍隊は隣のこの平和の市民を全部殺したという事実もよく了解しています。たとえば、日本軍隊は私の故郷で、空軍の滑走路を作るために村を占領して、村人達を全部、辺鄙なところに追い出して、今まで子供達の通学も不便ですね。
しかし、『つくる会』の教科書はね、ただ日本の戦争での被害を強調して、日本はこの植民地にどんなこの幸せをもたらしたことを強調して、あんまり日本軍隊の中国にもたらしたこの災難をあんまり紹介していないですね。だから、あんまり加害者の立場に立って、この戦争を反省していないですね。
それから、そんなに歴史から教訓を学びとることができるのか、私は心配してますね。日本は再び戦前の道に歩もうか、歩むことになるでしょうか、と私も心配していますね。
それについてね、八木さんや藤岡さんの考え方を紹介してもらいたいですね。どうも。
【藤岡:43分38秒から46分53秒まで】
A: お話されたことについて、それがどういう事実であるかということを、ここで確定するとかいうことはできませんから、そういう性格のものだと思いますので、それが事実であるとか事実でないとかいう議論を致しませんし、また、それがどういう歴史の中での位置を占めるかということについても、ここで議論することは難しいと思います。
ただ、町村文部大臣、(訂正)町村外務大臣が中国の外務大臣に対してお話を、会合でお話をされていますが、「日本の8種類ある教科書を私は全部読んだ」と。そして「戦争を美化している教科書はただの一つもない」という風におっしゃっております。
その8種類の教科書の中には、私どもの教科書も入っておりまして、そのことをはっきりとお伝えしたいと思います。
それからもう一つは、田原総太朗さんという日本で大変、影響力のあるジャーナリストの方がいらっしゃいますが、あ、田原総一朗ですね、この方もテレビの番組の中で、この町村さん、町村外務大臣に対して、私どものこの教科書の現行のバージョンですが、(教科書を取り出して表紙を記者に示して)この教科書を番組の中で示しながら「私はこれを読んだ」と、それで中国に対する戦争についても、日本のやったことのですね、否定的にと言いますか批判的に書いている、と。
ですから、全く中国の人達が、今、批判していることは事実に基づいていない、と。で、「それをもっと言うべきだ」と田原氏は外務大臣に迫っておりました。
ですから、そういう事実が明らかになっていけば、たくさんの誤解は解けていくと私は信じておりますし、また、そういう正当な判断を世界の人がして下さると私は基本的には信頼しております。
【終了】
※参考
【スーザン・B・ハンレー】
アメリカの女性研究者。
著書:『江戸時代の遺産―庶民の生活文化』(指昭博 翻訳、中公叢書、税込み1995円)
【エドウィン・O・ライシャワー(Edwin O. Reischauer)】
元駐日アメリカ大使、ハーバード大学教授。
著書:『ライシャワーの日本史』(国弘正雄 翻訳、講談社学術文庫、税込み1260円)
【リチャード・H・マイニア(Richard H. Minear)】
米国マサチューセッツ州立大学歴史学部教授。
著書:『東京裁判―勝者の裁き』(安藤 仁介 翻訳、福村出版、税込み2100円)