河野洋平〜特定アジアにおける輝かしい功績
 また河野洋平がいらんことを言ってるようです。

改憲は不要−河野議長 教育立て直しに労力を

 共同通信の記事は短いんですが、産経紙面ではもうちょっと詳しく載ってました。
 全文引用します(ネットソースなし)。

■河野衆院議長 護憲の存在感「改憲論議より教育再生を」
 河野洋平衆院議長=写真=は十九日、自民党本部で講演し、「私は憲法改正に賛成しないけれども、議論をすることはいい」と述べ、憲法改正に反対する立場を明言した。自民党は昨年十月、立党五十年を機に新憲法草案を策定。河野氏は衆院議長就任に伴って会派離脱中だが、元総裁として自民党で行った講演で、党是の憲法改正に反対の考えを明言したことは波紋を呼びそうだ。
 河野氏は講演で、「憲法改正にあれだけ政治的エネルギーと時間を使うなら、なぜ教育を立て直すためにエネルギーと時間を使わないのか」と述べ、憲法改正の論議自体も牽制した。
 河野氏は、元日の衆院議長年頭所感でも「中国や韓国など近隣諸国との関係の建て直しなどの課題」があると指摘、小泉純一郎首相の外交姿勢に注文をつけた。
 昨年六月には小泉首相に靖国神社参拝自粛を求めるなど、立法府の長として行政府への介入とも受け取れる発言を繰り返し、党内から「もう少し慎重に考えてほしい」(安倍晋三幹事長代理=当時)とに批判が出ていた。

 憲法改正に反対だと。議論自体も時間とエネルギーの無駄だと。
 河野さん、あんた自民党員のくせにすごいこと言いますね。松野頼三さんに言いつけますよ。

拙ブログ05/11/15付:「TVタックル」憲法改正より
 (自民党結成)当時、党則を作成した委員だった松野頼三氏曰く、「自民党の党則の第一は憲法改正、自主憲法制定。このために保守合同したのに、50年間何をしてたのか。改憲を忘れた党員は自民党員じゃないと言いたい。党則を全部読んでごらん」

 ↓去年9月の選挙でも、憲法改正は自民党の公約となってます。

共同通信社>05年衆院選特集>第44回衆議院議員選挙>各党の公約>自民党
自民党の公約
【憲法】
 自主憲法の制定は、わが党立党以来の党是である。自由と権利には、責任と義務が伴うことを自覚しつつ、新憲法制定に向けて、21世紀日本の国家像を明らかにする党憲法草案(新憲法案)を本年11月15日までに策定し、公表します。併せて、新憲法制定のための「国会法の一部を改正する法律案」および「日本国憲法改正国民投票法案」の早期制定を目指す。

 自民党員でありながら「憲法改正には反対」だなんて、理屈に合わんでしょ。あんた何のために自民党に入ったんですか?途中で護憲派に変わったの?じゃあ何でまだ自民党にいるの?社民党でも行けば?
 「憲法改正してほしいから自民党に入れよう」と考えてこれまで“自民党・河野洋平”に投票してきた有権者も少なくないのでは。それが党則や公約に反して公然と「憲法改正には反対」なんて言う。サギやわ。

 河野洋平は言う。「憲法改正にあれだけ政治的エネルギーと時間を使うなら、なぜ教育を立て直すためにエネルギーと時間を使わないのか」。
 これ、私に言わせれば、「河野洋平は、特定アジアにあれだけ政治的エネルギーと時間とカネを使うなら、なぜ日本外交を立て直すためにエネルギーと時間を使わないのか」ですよ。


【河野洋平〜特定アジアにおける輝かしい功績】


●いわゆる河野談話 平成5年(1993年)

外務省HPより引用
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

 この談話は、衆院選で自民党が敗北し、下野目前の平成5年8月に出されたものです。教科書に慰安婦問題を載せる根拠を与えるなどし、現在に至るまで大きな禍根を残しています。

 ところがこの談話は歴史的事実に基づいたものではありませんでした。
 談話が出されて3年半後の平成9年1月30日、平林博外政審議室長が国会で「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった」と発言したのです。

・平成9年(1997年)1月30日 参議院・予算委員会における平林博氏の発言
○片山虎之助君 従軍というのは軍属ですよ、軍籍を持つということなんですね。したがって、従軍記者だとか従軍看護婦さんはおるんです。従軍慰安婦なんというのはないんですよ。勝手につくった言葉でひとり歩きをしている。しかも、この言葉は一定のイメージを与えるんですよ。不正確でありかつ一定のイメージを与える。特に私は大変な影響があると思う。
 そこで、文部大臣が今言われた平成五年八月四日の外政審議室の調査、それに基づく官房長官の談話がこれまた不正確なんですよ、不正確。軍が関与していると。関与はしていますよ。関与にもいい関与、悪い関与、積極的な関与、消極的な関与があるんだから。それは兵士を守るために消極的にはいい関与をしたんですよ。だから、それは私は否定しません、否定しない。それじゃ、強制連行や強制募集、そういうことの事実が確認できたかどうかなんです。ところが、あの調査報告も官房長官談話もかなりあいまいなんです。
 そこで、外政審議室長、どういう調査をしましたか。

○政府委員(平林博君) お答えを申し上げます。
 政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。
 ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。

○片山虎之助君 今の審議室長の話は、資料と証言を集めた、資料には強制性を示すようなものはなかったと。ということは、(「そんなことはない」と呼ぶ者あり)いや、今答弁したんだから。
 そこで、それじゃ証言ということになる。その証言はどういう人から集めましたか。

○政府委員(平林博君) その前に、強制性の問題でございますが、今御答弁申し上げましたのは、強制募集を直接示すような記述は見出せなかったと。ただ、もう少し敷桁して申し上げれば、いわゆる従軍慰安婦の方々の日常の生活等におきましては強制性が見られるということで先はどのような官房長官の談話になったということでございます。
 証言につきましては、元従軍慰安婦とされる方々本人、それからいろいろな研究者、学者等でございます。

○片山虎之助君 いや、日常生活の強制性なんというのは、これはある意味ではわけがわからないんですよ。そういう資料があるなら、また出していただきたいと思いますが。
 そこで、結局は証言を中心にどうもあの調査報告や何かができたんじゃないかというふうに私は思っている。証言というのは、当事者の両方なり第三者が入る証言でないと、片っ方だけの証言者を集めてということは、ちょっと私は客観性を欠くんじゃなかろうかと。
(以下略)

 ↑ソースを見たい方は国会会議録検索システムから検索して下さい。

 また、当時の官房副長官で談話作成に関わった石原信雄氏も、産経のインタビューに対してこのように答えています。

・平成9年(1997年)3月9日付産経新聞−石原信雄氏の発言(酒たまねぎや ura ホームページさんより引用)
河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているがーー
「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった

一部には、政府がまだ資料を隠しているのではという疑問もあるーーー
「私は当時、各省庁に資料提供を求め、(警察関係、米国立公文書館など)どこにでもいって(証拠を)探してこいと指示していた。薬害エイズ問題で厚生省が資料を隠していたから慰安婦問題でも、というのはとんでもない話。あるものすべてを出し、確認した。政府の名誉のために言っておきたい」

ではなぜ強制性を認めたのかーーーー
「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意志に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。談話の文言は、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官(いずれも当時)らと相談して決めた

聞き取り調査の内容は公表されていないが、証言の信憑性はーーー
「当時、外政審議室には毎日のように、元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣きさけぶようなありさまだった。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側と話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当事者の供述には強制性に当たるものがあると認識している。調査内容は公表しないことを前提にヒアリングしており公表はできない」

韓国側の要請は強かったのかーーーー
「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したと言うこと。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた

それが河野談話の裏付けとなったのかーーーー
「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話には『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意志に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制に当たるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ」

談話の中身を事前に韓国に通告したのかーーー
「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う。」

韓国側が国家補償は要求しない代わり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もあるーーー
「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」

元慰安婦の証言だけでは不十分なのではーーー
「証言だけで(強制性を認めるという)結論に持っていったことへの議論があることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから、弁解はしない」

 なお、石原信雄氏は昨年、再び産経のインタビューに答えています。
 (産経は河野洋平にも取材を申し込んだが、河野は国会開会中を理由に応じなかった)

2005年(平成17年)8月3日付産経【戦後60年 歴史の自縛】(2)総辞職前日の慰安婦談話より引用
「河野談話」作成の経緯 石原信雄元官房副長官に聞く
どう利用されるか議論せず


 産経新聞は、「河野談話」作成の経緯などについて、石原信雄元官房副長官に聞いた。

                  ◇

 ――河野官房長官談話発表の経緯は
 慰安婦問題が出てきたのは、韓国で訴訟が起こり、続いて挺身(ていしん)隊という人たちが日本政府に謝罪と賠償を要求し、エスカレートした。意に反して慰安婦にされた人が存在したかどうかが一番の問題になった。当時は補償問題は一切、議論していない。日韓基本条約で済んでいることだから。個人の名誉の問題として強制にあたる募集があったかだけを確認した。

 ――政治判断として強制性を認めれば事が収まると思ったのか
 われわれは、いかなる意味でも、日本政府の指揮命令の下に強制したということを認めたわけではない。

 ――談話に反対しなかったのか
 議論の過程ではいろいろあった。国の名誉の問題があるから。政府として内閣としてまとめた以上は、私は全責任を負う。まとめた以上は逃げられない。

 ――国連は河野談話をもとに日本を「性奴隷の国」と呼んだ
 もちろん、そういうことに利用される可能性はある。訴訟している人たちは、すべてが強制だと主張しているわけだから、それを認めたことになるかもしれない。そういうリスクは当然、あの談話にはある。それは覚悟した。

 ――現在の評価は
 日韓の未来志向のためには、本人の意に反して慰安婦になったことを認めることが、その後の日韓関係を深める上で、必要だったという判断だったと思う。だが、韓国側が慰安婦はすべて強制だとか、日本政府が政府として強制したことを認めたとか、誇大に宣伝して使われるのは、あまりにひどい。韓国政府関係者の言い分は、(当時と)ぜんぜん違った形になっている。

 ――具体的には
 いろいろな国際会議で、日本政府が政府の意図で韓国女性を強制的に慰安婦にしたと言っているが、全く心外そのものだ。談話には書いてないが、納得ずくで慰安婦になっていた人だっている。

 ――宮沢首相は政権末期で決着を急いだのか
 次の内閣に送ってしまうということは、すべきでないと。宮沢内閣の責任で締めくくろうという首相の決断だった。

 ――韓国にいい顔をしすぎたのではないか
 批判はいろいろあるだろう。ただ、それが、どう利用されるかは、当時、議論していない。談話とか、公文書は、いろんな立場でそれが使われる可能性が常にある。

 石原信雄氏、開き直ってますな(-.-#)
 
 政府は「軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述はない」と言いながらも、未だ河野談話を撤回していません。
 「つくる会」教科書の影響もあり、昨年の検定で日本の教科書から「従軍慰安婦」の文字は消えましたが、現在も韓国人や日本の左翼団体らはこの談話を根拠とし、国際社会の場で「日本軍は韓国人女性を無理やり拉致連行し売春をさせていた」などと嘘を垂れ流し続けています。

 私が河野洋平に国会議員としてあと一つだけ仕事をさせるとしたら、「河野談話の撤回」。あとは何もせんでええ。とっとと辞めて。


●北朝鮮へのコメ50万トン支援 平成12年(2000年)

平成12年10月7日:救う会全国協議会ニュース ■河野洋平外相と家族会・救う会代表との会見内容より河野洋平の発言抜粋
 これを行うことによって日朝関係を進める。国交正常化だけが重要ではなく、拉致をやるのも重要だ。
 今動き出したチャンスに踏み込むとの判断を私がした。私の責任でした。日朝が話し合わなければ解明できない。話し合ってやらなければ。黙っているだけではできない。

 ということで、党内の慎重派や家族会・救う会の反対を押し切って北朝鮮にコメ50万トンを支援。
 結果は皆さんご存知の通り。↓こうなりました。

平成13年4月24日:救う会全国協議会ニュース ■コメ支援の責任を問う声明を発表より引用
 河野外相は外務省前に座り込み抗議した私たちを大臣室に入れて、「最大限の誠意を示し北朝鮮の誠意ある対応を待つ」コメ支援は「今がチャンスだ」「私の責任で支援を決めた」などと語った。
(中略)
 国民の税金を千数百億円かけてなされたコメ支援の結果はどうだったのか。北朝鮮は昨年4月と8月の日朝国交交渉で「拉致はでっち上げ」という開き直りを続け安否確認さえ拒否したままであり、その後は交渉開催すら拒んで今に至っている。つまり、コメはただ取りされただけだ。

 「私の責任で」やった以上、責任取ってもらわないとね。でも河野洋平が責任取ったという話、とんと聞きませんね。


●中国における旧日本軍遺棄化学兵器処理問題 平成7年(1995年)
 
 1987年、ジュネーブ軍縮会議で、中国が化学兵器に関する「遺棄国の責任」を掲げて日本を追及。
 1992年、同会議で、中国が遺棄国の廃棄義務を条約化するよう提案。
 さらにこの年、中国は国連で立ち上げられた化学兵器禁止条約に、「遺棄国に対する廃棄の義務」「所要の資金、技術、施設の提供」を盛り込ませた。
 1995年、河野洋平外相(当時)が中国に「旧日本軍が遺棄した化学兵器を条約に従って全部処理する」と約束。
 1997年、化学兵器禁止条約に日本が批准。
 1999年、費用の全額負担などを盛り込んだ覚書を中国と交わし(処理の目標年限は2007年)、日本による廃棄事業が動き出す。

 が、その後、次々と問題や疑惑が噴出。一言で言って「中国のたかり」。
 そもそも日中間では戦時賠償は解決済み。もちろん遺棄について日本がまったく無関係だとは言えないでしょうから、せいぜい廃棄処理に関しては数億円程度を「援助」というかたちで拠出し、あとは打ち切るべきだったのです。
 それなのに1995年5月、村山富市(当時首相)は中国側に「遺棄化学兵器の問題には、誠実に対応したい」との旨を話し、11月に河野洋平(当時外相)が「中国大陸に遺棄されている化学兵器について、日本側が責任をもって処理する」との趣旨を中国側に伝え、この化学兵器の処理を易々と引き受けてしまったのでした。

 詳細は拙ブログ1/4付:遺棄化学兵器問題〜日本にさらにたかる中国をご覧下さい。


●首相経験者とつるんで小泉首相の靖国参拝自粛を求める 平成17年(2005年)

・6月1日付時事通信<首相経験者ら、靖国参拝自粛求める=公明代表も「連立に悪影響」>
 河野洋平衆院議長は1日、議長公邸で自民党の森喜朗氏ら首相経験者と懇談し、小泉純一郎首相の靖国神社参拝について「慎重の上にも慎重に対応すべきだ」との認識で一致した。一方、公明党の神崎武法代表は同日の記者会見で、首相が同党の反対を押し切る形で参拝した場合、「連立の基盤に悪影響がある」と表明。与党内で参拝自粛の声が強まり、首相は一段と苦しい対応を迫られそうだ。
 河野氏との懇談には、森氏のほか橋本龍太郎、村山富市、宮沢喜一、海部俊樹の各氏が出席。河野氏が「昨今の近隣諸国との急速な関係悪化はとても看過できない。その大きな原因の1つに小泉首相の靖国神社参拝がある」と指摘したのに対し、森氏らも首相の参拝自粛が必要との考えを示した。 
(時事通信) - 6月1日21時2分更新

・6月9日付産経抄より引用
 しかしごくまれだが、美点を探そうにも反証ばかりが先に出てくる人物にでくわすことがある。河野洋平衆院議長はその一人だ。
 氏は一昨日、小泉純一郎首相に会い、靖国参拝自粛を要請した。立法府の長が行政府の長に文句を言うのは、三権分立の観点からどうか、という問題はひとまず置く。遺憾なのは議長公邸に自分の意見に近い首相経験者を集め、「反靖国」の気勢をあげる「虎の威を借る」行為をしたことだ。
 首相に物申したいのなら、なぜ、衆参の議長経験者を集めないのか。自ら議会の権威を貶(おとし)めたようなもので、歴代自民党総裁でただ一人、首相になれなかったコンプレックスの表れでは、といわれても仕方がない。
(中略)
 いまさらだが、政治家としての資質の問題である。老婆心ながら申し上げるが、この際、議長引退をお考えになってはどうだろう。中国の分断策に乗るような形で、これ以上、国益を損じさせてはいけないからだ。
 
 ……議長だけでなく議員も辞めて下さい(-.-#)


●台湾に緊急着陸で引きこもり 平成7年(1995年)

 平成7年(1995年)、東南アジア諸国連合外相会議に出席するため、バンコクに向かっていたところ、乗っていた飛行機が悪天候のため台湾に緊急着陸。離陸するまでの数時間、河野洋平はずっと飛行機に引きこもっていて、外には出なかった。
 その後、「台湾の地を一歩も踏まなかった」ことを日中友好の証として中国の銭外相(当時)に語った。

 ……議員だけでなく日本人も辞めて下さい(-.-#)(-.-#)


●李登輝・前総統の訪日ビザ問題 平成13年(2001年)

 平成13年(2001年)4月10日、台湾の李登輝・前総統が訪日ビザを申請。河野は外務省とともにビザ発給を渋った。
 森喜郎首相(当時)が「これは私の命令だ」とまで言ってビザを出すよう指示したにもかかわらず、親中派の橋本龍太郎や野中広務幹事長(当時)の後押しを受けた河野は、外務大臣辞任をほのめかしてまで抵抗した。
 中国も駐日大使を官邸に押し掛けさせるなどの露骨な内政干渉を展開。
 日本の各新聞は「ビザ発給すべき」の立場で足並みをそろえた。朝日新聞でさえ、「政治活動では困るが、一人の民間人としてビザを発給するのが自然。ビザ問題をいたずらに政治化してはならない」と政府側に注文した。
 結局、4月18日の記者会見で首相退陣を表明した森首相が、李登輝氏にビザを出すよう外務省に命じたことを明らかにしたため、外務省はやむなくビザを発給、李登輝氏の訪日が実現した。

 ……日本人だけでなく人間も辞めて下さい(-.-#)(-.-#)(-.-#)


・・・・・・細切れぼやき・・・・・・


「改革路線を揺るぎないものに」首相が施政方針演説(読売)
 外交政策では、中国と韓国が首相の靖国神社参拝に反発していることを踏まえ、「一部の問題で対立があっても、大局的な視点から協力を強化し、未来志向の関係を築いていく」と表明した。

 ここ、他の箇所より大きな声を出してやたら強調してましたね(^_^;
 その意気で今年こそ8月15日に参拝して下さい。

 小泉首相の施政方針演説、NHKで生で見てました。
 皇室典範の箇所を読み上げた後、首相は口に水を含んだのですが、その間、議場からツッコミというかヤジというか、何人かの声が飛んでいました。残念ながら何を言ってるのかまでは聞き取れなかったんですが、その後、産経の記事でこういう記述を発見。↓

首相“花道”国会 キーマン中川氏 改革継続へ調整力試金石(産経)
 大きな火種となりそうなのが、政府が二月末にも与党に提示する皇室典範改正案だ。首相は十九日、今国会での改正案成立を目指す考えを強調したが、二十日の演説では、法案を提出する方針は示したものの、行革推進法案のように「成立を期す」とまでは踏み込まなかった。
 その背景には、女系天皇を容認するかどうかで生じた党内の大きな溝があり、二十日の衆院本会議での首相演説でも、首相が皇室典範改正に言及した際に自民党議員の一部が「反対」と叫ぶ一幕があった。中川氏や武部勤幹事長、細田博之国対委員長らは今国会での改正をもくろんでいるが、久間章生総務会長は慎重姿勢をみせており、党内の意見集約は難航必至だ。

 「反対」と叫んだのは誰でしょう。気になるところです(^_^;

 
1/20付産経抄
 人物を見極めるのは、なかなか難しい。良かれと思ってスカウトした人材が食わせものだったり、補欠採用が意外な業績をあげたりというのは会社のみならず、野球やサッカーでも日常茶飯事。「世界のトヨタ」を率いてきた日本経団連の奥田碩会長も人物を見誤ったようだ。
(中略)
▼強制捜査後、六分間の会見をしただけの堀江社長は、今こそ大好きなテレビカメラの前で疑惑に真摯(しんし)に答えるべきだ。「新聞とかテレビを、われわれは殺していくんですけど」といった元気なホリエモン節をぜひとも聞かせてほしい。

 強制捜査以来の産経を見てますと、やっぱ全体的に「ホリエモンざまあみろ」的なムードが醸し出されてますな(^_^;
 ライブドアVSフジテレビの時、ホリエモン、「フジサンケイにオピニオンは異色でしょ」「エンタメ系に強化した方がいい」「正論路線にお金をかけたくない」などとかなりキツイこと言ってましたしね。無理もないですわ。

 当時(昨年2月)の産経の社説・コラムはこちら(桜魂さん)で見ることができます。

 そういやこの前たまたま細木和子の番組を見てたら、ホリエモンがゲストで出てたんですよ。
 「今の日本のやり方では外資に食いつぶされてしまう。僕はそれを防ぎたくて色々とがんばってる」みたいに言ってました。それがもし本当であれば素晴らしいことだが……と半信半疑で聞いてたんですが、その直後にまさかこんな事件が待っていようとは。

 ホリエモンの道義違反には寛大だった人たちも、法律違反にはさすがにYESとは言えませんよね。……と思いきや、「よその会社もやってる」と庇うコメンテーターなどがまだけっこういたりするので、私はちょっとびっくりしてます。

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Posted by くっくり 03:10 | 政治 | comments (22) | trackback (2)
コメント
河野洋平、相変わらずですね。
なんで、こんな人が議員やってるんだろう
Posted by ぶみ | URL | 06/01/21 07:08 | Rxb4R.Gk

親子共々早く消えてください。これからの日本の為に・・
Posted by 人形焼 | URL | 06/01/21 07:22 | RRDSr96U

衆議院議長だから、自民党員を離脱したんじゃないんじゃないか?河野洋平は。
自民党員で無所属ってあったっけ。
Posted by 春秋子 | URL | 06/01/21 08:17 | Ev/ibpaA

選挙区は違えど、同じ神奈川県の選挙民として
本当に恥ずべきです。

引退、やめるといった言葉ではすまされないくらい
この男の罪は重いです。

万死に値します。(激怒)
Posted by 胡弓弾き | URL | 06/01/21 08:22 | H8MrzqPQ

河野洋平の父・一郎氏は、バリバリのタカ派・豪傑肌の人で、もちろん改憲論者でした。当時の改憲論の代表者たる鳩山一郎の一の子分として鳩山派を受け継ぎ河野派を率い、池田勇人の次の総理と言われながら、病に倒れました(当時の河野派はその後中曽根康弘が嗣ぎ、渡辺派、亀井派を経て現在は伊吹派となっています)。アクが強く敵も多い人だったようですが、政治家としては一本気の通った人物で、ソ連との交渉でも一歩も引かず、酒も飲めないのにウォツカを一気飲みして一気に日本側の主張をまくしたてフルシチョフやブルガーニンを黙らせたというエピソードもあります。
それに引き替え、息子がなぜこんなハト派になってしまったんでしょうかね(鳩山一郎の孫2人はどちらも改憲派ですが)。洋平は父の死後政界デビューの時は中曽根派に属しましたが、ロッキード事件の折に自民党を飛び出して新自由クラブを結成、10年後に自民党に復党した時にはなぜか真逆の宮澤派(宏池会)に復帰しました。宮沢政権崩壊後には自民党総裁に推され、同党唯一の首相でない総裁となり、退任後は加藤紘一と派閥後継を争い(KK戦争)、加藤が派閥を継ぐと飛び出して河野グループを作りました。政界での渡り歩き方もとても上手いとは言えません。
いっぽう、そのハト派の河野Gに、タカ派の麻生外相がいるのも不思議な話ではあります。宏池会をさかのぼれば宮澤派←鈴木派←大平派←前尾派←池田派、そしてその前身は吉田茂派なので、お義理で祖父の派閥に属してるとしか思えませんけどね。
河野氏にはさっさと引退してもらい、グループを麻生氏がついで、さらに派の色を左から少なくとも中道にして総裁選にのぞんでもらいたい。
Posted by まんちゅりあ | URL | 06/01/21 09:00 | ZKoloy3w

TBが出来ないようなので、アドレスをコメント欄に記入させて貰いました。
http://blog.goo.ne.jp/misky730/e/fc14c600e89e97f7d4cedaf1f779cd1d
Posted by まさ | URL | 06/01/21 09:35 | Z.r6Hdbw

>「台湾の地を一歩も踏まなかった」ことを日中友好の証として中国の銭外相(当時)に語った。

ほんと、どこの国の議員だか分かりませんね。
売国奴め。
Posted by baku | URL | 06/01/21 11:30 | PcXUxKT6

なんて記事をトップにもってくるんですか!!
コーヒー吹いちゃいました(私のメモが・・・ゴシゴシ、キーボードしまっててよかったっ)

前から気になってたのですが、自民党の国家戦略本部ってどれほどの党内において影響をもっているか分かる人はいますか?
というのも、河野は最高顧問の一人なんです。
あと中曽根・宮沢・橋本・森を入れ5人ですが、河野だけが、首相経験のない人物なので、こだわっちゃってるんです。(質問なので、迷惑なら消してください。お手数かけます)
Posted by t | URL | 06/01/21 11:57 | ZZ3dtu.2

河野洋平は確かC型肝炎で息子か誰かから肝移植して助かったらしいですが、普通なら助かって良かったと思う所ですが、河野の場合は何で助けた、政治家続けるなら死なせておけと思いました。
本当に功罪は大きいです。
Posted by yum | URL | 06/01/21 13:02 | KWSFKNCA

yumさんへ

「功罪」というと、功績も大きいという意味になってしまいますよ。
それでよろしいのでしょうか?
Posted by タチ | URL | 06/01/21 14:49 | w8K2dgME

ああ、「特定アジアにおける輝かしい功績」
だからそれで良いのか

河野洋平の功罪とは…
「特定アジアにおける輝かしい功績」と「日本における罪」
Posted by タチ | URL | 06/01/21 14:56 | w8K2dgME

はじめまして^−^
いつも大変楽しく拝見さしていただいています。
ホントにおもしろいブログをありがとうございます。

今回コメントそしていただきましたのは....
私のブログ<Blogを紹介しちゃいます。>でこのぼやきっくりを紹介さしていただきました。

かってに紹介して悪いと思ったんですが....
どうしても紹介したいと思いまして...
今回紹介さしていただきました。

よかったらご覧ください
いつもありがとうございます。
Posted by tkfire | URL | 06/01/21 15:19 | .ZOolaZo

最近本当に力の入ったエントリが多くて楽しませてもらってます。衆院議長は、公正さを保つため就任の際いったん所属会派(自民党)を外れるんですよ。それだけ公平性を期待されている議長が、国会内での議論も本格化する前から、一方に肩入れした(ととられる)発言するのは、配慮に欠けますね。
Posted by こつこつ | URL | 06/01/21 18:12 | tHsGFtkM

三宅久之さんの本を読んでみますと(『やじうま政治学』)、「河野洋平氏は極力敵を作らないようにしている政治家だ」と書かれています。
おそらく河野氏の「中韓への媚びへつらい」は、この「敵を作らない」という信条に由来するのかもしれません。

でも彼の振る舞いは明らかに度が過ぎていますよね。
河野氏は、橋本龍太郎氏と同じく、中国共産党の対日工作にまんまと引っ掛かってしまっている売国奴と言えるでしょう。

>yumさん
お気持ちはわかりますが、「死なせておけ」はあまりに言い過ぎでしょう。
冷静に批判するべきです。
Posted by asatte_no_houkou | URL | 06/01/21 20:41 | QuGwigyo

情けないのは、台湾で飛行機に引きこもって、中国首脳に「私は一歩も台湾の地を踏まなかった」と臆面もなく言うその節操のなさ。強いものに媚び、嫌われる事を避け、ひたすら中共にいい子でいようとする信念の弱さ。

衆議院議長、見てて分かる。嬉しくてしかたがないよね?
その地位と立場。わかるよ。

大物ぶりたいのはわかるが、誰も支持してないよ。
さっさと中国に帰化申請だして中国人になりなさい。
Posted by おとこ | URL | 06/01/21 21:23 | Gh228ffs

管理人さんのおっしゃるとおりです。
かの有名な河野談話ですか。後日千葉大の教授が現地調査を行い慰安婦の捏造を証明したやつですね。
まったく宮沢ー河野は史上最悪のコンビですね。
よくこんなにも軽率に日本国や日本人の名誉、尊厳を
辱める行為ができたものです。全く腹が立つ奴等です。
Posted by Garireo | URL | 06/01/21 21:26 | XJLxpuI2

移植のために肝臓を提供した河野太郎も「そんなことのために肝臓を提供したわけじゃない。引退するべきだ。」と父親河野洋平にいったといううわさもありますね
Posted by taka | URL | 06/01/21 21:56 | FtSe8HvA

タチさんへ
功罪→罪ですね。失礼しました。
Posted by yum | URL | 06/01/21 23:07 | I5.4Mz/6

そんなに日本好き?アメリカのポチで、中国や韓国のほうが外交も経済も全部上だよ。

日本は最低さ。頭悪すぎ。

小さな政府と言いながら増税。憲法改正して何かいいことかあるの?従軍慰安婦が捏造?それで何か日本が不利益こうむってるの?

ただ中国や韓国に言われることにストレス感じてるだけじゃん。

自分たちが不安ベースにいるからといって、侵略した国に何か言われて、頭下げない神経がどうかしてるね。

へたれ右翼は嫌いです。この国がおかしいのは外交とかじゃない。全部小泉プラスへたれ右翼です。

ゴーマニズムとか好きなんでしょう。
Posted by へたれ右翼大嫌い | URL | 06/01/22 07:07 | 2fhItYj.

↑ あんたなに人?

へたれ右翼の方が売国左翼より百倍もましです。

中韓に言われてることは「言い掛かり」だからストレスになるんですよ。

>小さな政府と言いながら増税
莫大な借金の所為です。だから偽者慰安婦に賠償する余裕なんかありません。
Posted by 煬帝 | URL | 06/01/22 08:19 | fKGmyxRY

河野さん、官房長時代の談話に対する責任未だに取っていないのね(^^;;
>「河野洋平氏は極力敵を作らないようにしている政治家だ」・・・
敵も作らない代わりに、味方も作れないというのはご存じなのでしょうか、いわゆる八方美人は欧米諸国のもっとも忌み嫌うところです。この御仁・・・・わかっているのかな?
くっくりさんの言うように、河野談話の撤回が河野氏に課せられた仕事ですわ・・・
息子さんがかわいそう。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。
Posted by joker | URL | 06/01/22 12:39 | tawji5DQ

いつも拝見させて頂いております。
さて、私の地元紙に河野氏と地元選出議員との新春対談が掲載されておりました。
自分のBlogに起こしてみました。トラックバックさせていただきましたので、よろしければご覧下さい。それにしても河野氏の観念的護憲論には正直辟易しますね。
Posted by 鯉狂い | URL | 06/01/23 10:35 | YMxzoCok

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Posted by 鯉狂いの徒然なるままに | 06/01/23 10:27

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